子育て×介護のダブルケア情報支援を行なっている、NPO法人こだまの集いの室津です。
2017年11月23日は、実父が天に返っていった日になります。3年一区切り。
画像は、先日のお墓詣りの時のものです。
当時は、子育て×介護のダブルケア生活の慌ただしさや失敗したこともありましたが、ダブルケアの中でも良かったこともあったと思っています。
我が家のダブルケアのケース
2015年 父親は、検診にてすい臓がんと肺がんのステージ4であることが分かりました。当時、自覚症状はなく元気に過ごしていました。
父は、ガンという病気だったため、最期の自分の人生の閉じ方を自分で選択できる準備期間がありました。
父親に人生でやり残したことはないか?行きたい場所はないか?
→父は、今まで四国に行ったことがないので四国に行きたいと言いました。写真は、香川県の金毘羅さんという長い階段で有名な神社さんです。
このころ、父は医師の診断的には余命宣告が尽きる頃ですが、誰よりも元気に階段を登りきり娘と讃えあっていました^^父は、余命宣告より半年以上も元気に生きることができました^^
父親は、積極的な抗ガン治療は行わず、症状がでたら痛みを取るなど緩和ケアを選択していました。
良かった点は、体力的にも亡くなる1ヶ月前までは維持できており、好きなお酒やタバコを楽しみ続け、愛犬に囲まれた生活を送ることができました。亡くなる当日まで会話もできており、非常に素晴らしい最期でした。
ダブルケアの中での在宅での看取りの良かった点
・おじいちゃんの看取りを通して、子どもに人の命のプロセスを伝えることができた。
当時、3歳だった娘はおじいちゃんが亡くなった時に少し怖いと感じていたのか、おじいちゃんに近寄ることができず様子をみていました。
娘に対しては、人の生まれてから天にかえるまでのプロセスをこんな感じで話しました。
「◯◯ちゃんは、元気に生まれてきてくれたね。人は、皆最期は天国にかえるんだけど、◯◯ちゃんは元気に遊んで皆と仲良く大きくなるんだよ。そして、大人になったらやりたいことをやって人のお役に立っていってね。そして、沢山人生を楽しんで下さい。」
「おじいちゃんの最期は、とても穏やかで立派なんだよ。」
その場では、どこまで理解していたかは分かりませんが、ご葬儀の時にお花に囲まれたおじいちゃんをみて、死に対するイメージが最期はお花に囲まれるというプラスのイメージに変えられた様でした。
・兄と夫とチームビルディングを行い、ダブルケアからご葬儀までの一通りのことをプロジェクトチームの様に達成することができた。
ダブルケアに関しては、父の主たる介護者は母でしたが、当時母親も入院して消化器の手術が必要になりました。
兄と私の夫とケアのチームを組み、父の介護環境を整えることや母の入院や手術の対応を日々日々乗り切っていました。
役割
私→在宅医、訪問看護師、介護用品、薬局との毎日の連絡調整、父親の状態を把握しケアの内容を状態の変化に合わせて判断。
兄→サラリーマンの兄は、朝の時間に父の排泄ケア、服薬介助、犬の散歩、介護や医療に関するお金の管理、最終的な重要な親族に関する判断を行なってくれていました。
夫→当時、長男を妊娠中だった私を気遣い、夜に父親が自宅で転倒した際には車で一時間の距離の実家まで助けに行ってくれました。最期の一ヶ月は、毎週車を飛ばして父の様子を見に行ってくれていました。
ダブルケアで困ったこと
・父親が、最期の亡くなる1週間前は実家に泊まり込み、娘が保育園をお休みすることが増えました。その間、私は父のケアをしており、娘が公園に行きたいと行っても連れて行ってあげられず、娘のストレスが溜まり、娘の元気が無くなってしまいました。
幸い、実家近くの一時保育の協力が得られて、娘のレスパイトも必要だと思いました。主たる介護者の住居とケアを受ける親の住んでる自治体が異なる場合、自治体をまたいだ子どもの支援も求められることを体感しました。
・失敗したのは、自分自身未来への予測が甘く(バオアスがかかり)、父親の介護保険の申請がかなり遅くなりました。これは、自分たちを追い込んでしまうことにつながりました!!
医療保険で、在宅ホスピスを先に受けておりましたが、私たちも少し離れた場所に住んでおり、父の介護が必要になったタイミングで急遽、介護保険をバタバタで申請しました。
介護保険の申請×各医療機関とのやり取りや調整×母親の入院対応×仕事×子育て!半端なくめまぐるしかったです。
医療従事者の自分でも、これは失敗だったなーと反省しているところです。
ガンという診断が出た時点で、介護保険の申請を行ったほうがいいのは分かっていても、やらなかった大変さを感じています。ガンであったり、短期的に回復が難しい病気の診断が出た時点で、介護保険の申請をお勧めします^^!!
以上です。長文をお読みいただきありがとうございました。